自分に甘く、他人に厳しいとは私の事

他人に甘く、自分に厳しい。これはその人のことを考えると、自己否定感が少ないのかもしれませんが、社会的には無害です。

自分に甘く、他人に厳しい。これは、社会的に迷惑でしかないよね。という話です。

この記事はモラハラというよりは、自己愛性パーソナリティを自覚した者が過去を回想した話です。

 

自分への甘さは逃げ癖に繋がる

思えば母は、小学生の私に逃げ道を"作ってくれていた"

小学生、夏休みの宿題を溜めちゃう人はいますよね。私はそうでした。

母は、そういったことに苦しんでいる私に対し、いつも逃げ道を作ってくれました。

例えば、宿題の一つである雑巾づくりを手伝ってくれたり、先生に手紙を書いてくれたり。

母は、共感を示すことなく、困難の解決策を示すコミュニケーションを取ってくれたのです。

また、父は子育てに無関与でした。

逃げたら何とかなった、歪んだ成功体験

こういった経験から、私は「逃げれば誰かが助けてくれる」と考えるようになりました。

逃げるとき、自分が守っていたものは、自分の世間体、自尊心だったと思います。

自分を守るためなら逃げる。逃げた先でも困ると嘘をつく

最近耳にするようになった"カバートアグレッション"

私が過去を回想したとき、カバートアグレッションをしてしまっていたと思い起こしたのは、高校生の時と大学生の時です。

通信手段を駆使して、裏で友達に余計な情報を吹き込み、危機を避けることがありました。

しかし、私の場合、嘘をつくことはなかったように思います。

モラハラは、社会の外にもいつの間にか刃を向けているかもしれない話

私は、他者に対しておせっかいです。さらに、おせっかいも厄介なほど余計に行っていたことがあったと思います。

しかし、自分の中では、"ただの親切心"で行っていたのでした。

 

まずは、「これ以上社会に迷惑をかけない」と誓おうと思った

逃げ道を作ってくれる母に、無関心な父、私は共感というものにほとんど触れていませんでした。

人に興味を持つことができず、共感を示せない。自分が生きやすいように、他者を余計に操作しようとし、迷惑をかけようとしていたと、今考えると、これ以上は絶対にやりたくない。そう思いました。