真実の愛とは、道半ばで求めるものではなく、結果として得られるものではないか
バチェロレッテジャパンを見ていて、スポーツトラベラーの福田さんが真実の愛という言葉を口にしていました。
私も、真実の愛というものを見つけた気になっていました。
それを失って気づいたことは、真実の愛とは道半ばで手に入るものではなく、人生の結果として得られるものではないか、ということです。
すなわち、死ぬときに、真実の愛であると感じることではないかと思いました。
今の幸せを共有する。今の困難を乗り越えるために必死になる。
その今の積み重ねの先に存在するものなのではないか、と思いました。
世界中に反面教師がいると感じるようになった
モラハラ加害を自覚してから自分の中の考えは180度変わってきました。
コミュニケーションの仕方を変えよう。
他者のコミュニケーションの良いところに興味を持って、それをお手本に変えていこう。
良いコミュニケーションってなんだろう。
暗中模索しています。
ただ、他者のコミュニケーションの中で唯一、よくわかることがあります。
それは、「過度に攻撃的なコミュニケーション」です。
なぜなら、私がやっていたからです。とてもよくわかります。
今まで私は、「心地よいコミュニケーションを心がけよう」なんて考えたことはありませんでした。
強いて言えば、「自分が心地よいコミュニケーション」ならばたくさん知っています。
ただ、今の私が求めるものは、「お互いが心地よいと思えるコミュニケーション」です。
世界は、様々な観点において「反面教師」が存在することを知りました。
それは、私の父においてもそうです。
弟においてもそうなのです。
それは、見方を変えればただの個性であって、人と人の相性というものを決めるものなのかもしれません。
今日も私は、「お互いが心地よいコミュニケーション」を目指して、世界を見ようと思います。
カウンセリングを受けてきた
今までと180度異なる価値観を目の当たりにした私は、自分で自分の現状を勉強していくうちに、「自分はどこへ向かうべきか、どこまでこの攻撃性を治すべきなのか」が分からなくなりました。
自分が自分を客観視するのは非常に困難なことです。
そのため、カウンセリングを受け、自分がどういった状態なのかを他者との会話で知ろうと思いました。
カウンセラーの方は女性で、初めから私の話を聞いてくれました。
「私はモラハラをしていたと思います。」
「パートナーを失った悲しみから、自分の過ちを省みるうちに、自分がモラハラであることに気づきました。」
「『モラハラは治らない』といったネットの記事を見て、生涯孤独かもしれないという不安感、孤独感に今は苛まれています。」
カウンセラーの方は私に、ただこうおっしゃいました。
「よく、ここまで見つめなおされてきましたね。」
私がモラハラ加害者であること、不安、孤独を抱えていることを差し置いて、私の一連の行動を彼女は受容してくれました。
この時点で、私はかなり救われていたと思います。元加害者なのに「救われる」という言葉を使うのはいかがなものかと思いますが、まずは自分の問題に関連することなので自分で不問とします。
そして、続いてこういってくださいました。
「変わらないというのは、『自覚がない人は変わろうとしないから変わらない』のであって、変わろうと思ったあなたは変わることができますよ。」
ここまで来て、私は一つのことに気づきました。
モラハラ加害を自覚したとしても、変わろうとする、しないの選択は自分がすることである。
変わらなくても、変わっても、自分は一人の人間として尊い存在であって、この違いは人の存在の善し悪しに影響を与えない。
生きる意味、生きていい意味について少し理解が深まりました。
カウンセラーの方とは、今後も継続してお話をし、客観的に自分の行動を見つめなおし、具体的にどういった考え方、行動を変えるべきなのかを考え、行動に移す機会としたいと思います。
モラハラにはいろいろな種類があるであろうということ
モラハラ加害を自覚してからは、必死に自分の人格の傾向について勉強しました。
その中で、自分は自己愛性傾向が強く、境界性、演技性にも多少偏っている人間だと理解しました。
また、その勉強の際に用いていたものは下記の書籍になりますので、加害自覚者の方は参考にしていただければと思います。
これらがあわさって、私は「被害者ヅラが上手く、それを巧みに使って攻撃をする人」だったと思います。
私は他者の人格否定や暴力はしませんでした。
しかし、他者の良心を傷つけることで他者をコントロールしようとする傾向にありました。
その際によく使ったのは、「自分のモノにあたる」「自己破壊衝動をひけらかす」でした。自己破壊衝動とは、境界性の要素も含まれるようです。
これらによって、他者の「いうことを聞いてあげれば収まる」という良心に付けこみ、コントロールしようとしていました。
ひとえにモラハラと言っても、そのタイプは多岐にわたるでしょう。
自覚させ、治療してもらいたいと思っている被害者の方、加害を自覚して治療したいと思っている方は私のほかにもいると思います。
解決策のパターンは存在せず、個別具体的にカウンセリングを受け、改善せねばならないであろうことを一緒に理解したいと思いました。
挫折を味わった経験ってありますか?
私は大きな挫折を経験したことがありませんでした。
挫折はきっと皆さんに、「人生は一筋縄では行かないこと」を教えてくれるかもしれません。
モラハラ加害者は、人生の歩み方がワンパターンなんじゃないかなという"仮説"に基づいた個人的見解です。もちろんそうじゃないかもしれません。
しかし、私の身の回りにいる、もっと強い自己愛傾向のある方と私の考え方がそういった点で似ていたので、そう仮説を立ててみました。
そうじゃないと思った方はコメントくださると幸いです。
自分の状況を鑑みて考え抜けば何とかなった人生
「努力すれば何とかなる」
良い言葉だと思います。
しかし、努力だけで何とかならないものも、世の中にはあるのでしょう。
様々な大災害、運なども大きなファクターとなる場合の人事異動など、大小さまざま。
人生には努力で何とかできないものはいろいろあるのでしょう。
私の人生の今までは、努力で何とかならないものはそうありませんでした。
私は、努力で何とかならなさそうな、不確実性のあるものに極度の不安感を覚えます。
それは、努力で何とかならないものに対応した経験が非常に少ないからなのだと思いました。
努力すれば何とかなる。を人にも押し付ける
「努力すれば何とかなる」というのは私の今までの人生の中での最強の攻略法です。ですから、「悲しむ暇があったら考えろ」「泣いてたってなにも解決しない」
そういうことを他者に平気で言っていました。
それは受け取り手次第ではただの励みにもなるでしょう。
しかし、別の受け取り手にとっては、精神の圧迫にしかならないでしょう。
共感力のない私は、他者の人生の歩み方を一切知らず、自分の考え方だけがベースとなったアドバイスを他者に告げていました。
そして、それによって他者をコントロールしようと考えていました。
これが私にとってのワンパターンです。
人に共感できないとは思われていなかったであろう話
私は突き詰めて考えると、他者に興味がありません。そのため共感ができません。
しかし、人の話は聞くことができるし、「そうだよね~」ということも少なくありません。
「そうだよね~」に秘められた心理をぼやっと考えてみました。
私のコミュニケーション
私は交友関係は広い、と自負しています。
高校、大学時代共に、多くの部活動、サークルを兼部、兼サーしていました。
その中で多くのコミュニケーションを取る機会があったことは間違いありません。
しかし、どうしても踏み込んだ中にはならない。広く浅い付き合いでした。
私が自分を突き詰めて考えると、これらの事実に合点がいったのです。
"他者には興味はないが、他者の持つ、私の知りたい情報には興味がある。"
このために、私は他者とコミュニケーションを確かに図れていたと錯覚していたのです。さらに言うと、通常の社会的生活で、私は「少し主張の多い人」としか思われていないかもしれません。
他者に興味を持つことと、他者の持つ情報に興味を持つことの圧倒的な違い
私の共感力
私は今、この本を読んで共感力を学んでいます。
共感には、3つのタイプが存在するそうです。上記方引用させていただきます。
- 認知的共感:他者の視点を理解する力
- 情動的共感:他者の感情をくみ取る力
- 共感的関心:相手が自分に何を求めているかを察知する力
私は私をできるだけ冷静に省みたとき、2は一切の能力がありません。
1,3は、ある条件下で能力を発揮できます。
それは、社会的に上位な者に対する恐怖です。
私の上司は私以上に他者に共感を示さず、他者を平然とコントロールしようとする人間です。今となっては私自身のモラハラ加害を自覚することになった一つのヒント的存在ともいえます。
私は、彼の感情を読み取り、理解し、その通りに動かないと社会的に抹殺されると感じています。
そのため、彼に対しては一生懸命、私にどうしてほしいのかを読み取り、理解する努力をしました。できなければ死ぬと思うからです。
ただ、2に関して、今までは必要ありませんでした。他者の感情に動かされることなく行動できる自分は、他者の感情を知らずとも生きることができたからです。
生きる上で必要かどうかが重要と考える
私は、他者の感情、思いを、生きる上で重要かどうかで取捨選択をします。
他者が何を考えていようが、"こうしなさい"と言われれば、多少嫌でもやるのが仕事ですし、"こうしろ"というのが社会的に上の立場のやるべきことだと考えていました。
これは、ロボットでいいよなぁ、と今考えると思います。
さらに言うと、それを恋人関係、友人関係という、多くの人が心のつながりを重要とする関係に持ち込むのは、ふさわしくありません。間違っているとは言いませんが。
友人からもらったアドバイス
これらを友人に話しました。もちろん、"私が欲しい情報を求めて"。
彼女は私に、私の視点に沿った素敵なアドバイスをくれました。
「最初はほしい情報を求めたコミュニケーションでもいいんじゃないかな。でもそのうち、興味のない情報も自分の役に立つと考えられれば、自然と興味が出てくるはず。もっと引き出したいという欲が共感を持たせるんじゃないかな。」
いろんな人のいろんな考えを受容し、生きる糧にする、最初はそれでもいいんだ、と感じました。
自己愛性人格障害、モラハラ加害者に寄り添った記事は少ない
※被害者の方には多少ショックな内容が含まれる可能性があります。
私の主観で、少ないと感じました。
他の方が同じように寄り添った記事を探そうと検索をかけても、非常に少ないと思います。
幸い、2,3のブログと、自己愛を克服した方のyoutubeチャンネルは発見し、自己の理解に努める参考にさせていただいております。
これは単純に、大きな一つの理由ともう一つの2つの理由から来てるのかなと思います。
- 加害者が自覚をしない/できない。圧倒的攻撃性。しかも弱みは外に出ない。
- 被害者の方は別れを選択する前に、加害者側に自覚してもらうか、抑えてもらう方法を探している。
ここで、寄り添うとは、私たちに共感を示してくれている記事のこととしますが、そういった記事はとても少ないと感じます。
1は、そもそも自覚をする人が少ないので、自覚した加害者よりも被害者が圧倒的に多いのだと思います。
2は、おそらく被害者の一定数の方が、離婚や別れを経験する前に、悩みとして相談しているケースが多く見られました。一方で自覚をしていない人にとっては、悩む必要もないため、被害者の方が多くなるのだと思います。
自覚しないというのは、双方にとって残酷だと思います。
決断を迷い、解決の道を探ろうとしている被害者の方は、探っているだけ傷つき続けます。
自覚せず、自らの攻撃を正当化し、それを続ける加害者は、別れた後にその長さだけ後悔します。
モラハラが解決したケースをすべて無視しているわけではありません。お互いに、とても多くの事を学び、少しずつ理解し、、、きっとつらい道のりなんでしょうが、解決したときはとても晴れやかだと感じます。一方で、
今となっては、「モラハラからは今すぐ逃げろ!」という多数の記事に、とても納得ができます。

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