カウンセリングを受けてきた
今までと180度異なる価値観を目の当たりにした私は、自分で自分の現状を勉強していくうちに、「自分はどこへ向かうべきか、どこまでこの攻撃性を治すべきなのか」が分からなくなりました。
自分が自分を客観視するのは非常に困難なことです。
そのため、カウンセリングを受け、自分がどういった状態なのかを他者との会話で知ろうと思いました。
カウンセラーの方は女性で、初めから私の話を聞いてくれました。
「私はモラハラをしていたと思います。」
「パートナーを失った悲しみから、自分の過ちを省みるうちに、自分がモラハラであることに気づきました。」
「『モラハラは治らない』といったネットの記事を見て、生涯孤独かもしれないという不安感、孤独感に今は苛まれています。」
カウンセラーの方は私に、ただこうおっしゃいました。
「よく、ここまで見つめなおされてきましたね。」
私がモラハラ加害者であること、不安、孤独を抱えていることを差し置いて、私の一連の行動を彼女は受容してくれました。
この時点で、私はかなり救われていたと思います。元加害者なのに「救われる」という言葉を使うのはいかがなものかと思いますが、まずは自分の問題に関連することなので自分で不問とします。
そして、続いてこういってくださいました。
「変わらないというのは、『自覚がない人は変わろうとしないから変わらない』のであって、変わろうと思ったあなたは変わることができますよ。」
ここまで来て、私は一つのことに気づきました。
モラハラ加害を自覚したとしても、変わろうとする、しないの選択は自分がすることである。
変わらなくても、変わっても、自分は一人の人間として尊い存在であって、この違いは人の存在の善し悪しに影響を与えない。
生きる意味、生きていい意味について少し理解が深まりました。
カウンセラーの方とは、今後も継続してお話をし、客観的に自分の行動を見つめなおし、具体的にどういった考え方、行動を変えるべきなのかを考え、行動に移す機会としたいと思います。