自己愛性人格障害、モラハラ加害者に寄り添った記事は少ない

※被害者の方には多少ショックな内容が含まれる可能性があります。

 

私の主観で、少ないと感じました。

他の方が同じように寄り添った記事を探そうと検索をかけても、非常に少ないと思います。

 

幸い、2,3のブログと、自己愛を克服した方のyoutubeチャンネルは発見し、自己の理解に努める参考にさせていただいております。

 

これは単純に、大きな一つの理由ともう一つの2つの理由から来てるのかなと思います。

  1. 加害者が自覚をしない/できない。圧倒的攻撃性。しかも弱みは外に出ない。
  2. 被害者の方は別れを選択する前に、加害者側に自覚してもらうか、抑えてもらう方法を探している。

ここで、寄り添うとは、私たちに共感を示してくれている記事のこととしますが、そういった記事はとても少ないと感じます。

 

1は、そもそも自覚をする人が少ないので、自覚した加害者よりも被害者が圧倒的に多いのだと思います。

2は、おそらく被害者の一定数の方が、離婚や別れを経験する前に、悩みとして相談しているケースが多く見られました。一方で自覚をしていない人にとっては、悩む必要もないため、被害者の方が多くなるのだと思います。

 

自覚しないというのは、双方にとって残酷だと思います。

決断を迷い、解決の道を探ろうとしている被害者の方は、探っているだけ傷つき続けます。

自覚せず、自らの攻撃を正当化し、それを続ける加害者は、別れた後にその長さだけ後悔します。

モラハラが解決したケースをすべて無視しているわけではありません。お互いに、とても多くの事を学び、少しずつ理解し、、、きっとつらい道のりなんでしょうが、解決したときはとても晴れやかだと感じます。一方で、

今となっては、「モラハラからは今すぐ逃げろ!」という多数の記事に、とても納得ができます。

 

 

「つまり、失恋して悩んでるってこと?」

先日、ある心療内科に行ってきました。

かつての状況をできるだけ整理し、初診に臨みました。

モラハラ加害を自覚してからは、なぜかどういった行動がまずかったか、自分の何が悪かったかが嘘のように思い起こされます。

今更気づいたって遅いのですが。

 

先生はご高齢の方で、真摯に話を聞いてくださいました。

 

  私はモラハラをしていたと思うんです。

 

私はそう言い、整理した、今までのエピソードを話しました。

私のやってしまったこと。やってしまった原因。

そこで先生のおっしゃったことが、タイトルになっています。

 

  「つまり、失恋して悩んでるってこと?」

 

  そういわれれば、そうなのかもしれませんが。

 

そう答えるほかありませんでした。

少しだけ心がホッとしてしまったのを、罪とするべきか、良しとするべきか。

それは誰を大切にするかによると思いました。

 

「感情に善し悪しなんてない」と友人に言われたことを理解できるのは、まだ時間がかかりそうです。

 

 

自分に甘く、他人に厳しいとは私の事

他人に甘く、自分に厳しい。これはその人のことを考えると、自己否定感が少ないのかもしれませんが、社会的には無害です。

自分に甘く、他人に厳しい。これは、社会的に迷惑でしかないよね。という話です。

この記事はモラハラというよりは、自己愛性パーソナリティを自覚した者が過去を回想した話です。

 

自分への甘さは逃げ癖に繋がる

思えば母は、小学生の私に逃げ道を"作ってくれていた"

小学生、夏休みの宿題を溜めちゃう人はいますよね。私はそうでした。

母は、そういったことに苦しんでいる私に対し、いつも逃げ道を作ってくれました。

例えば、宿題の一つである雑巾づくりを手伝ってくれたり、先生に手紙を書いてくれたり。

母は、共感を示すことなく、困難の解決策を示すコミュニケーションを取ってくれたのです。

また、父は子育てに無関与でした。

逃げたら何とかなった、歪んだ成功体験

こういった経験から、私は「逃げれば誰かが助けてくれる」と考えるようになりました。

逃げるとき、自分が守っていたものは、自分の世間体、自尊心だったと思います。

自分を守るためなら逃げる。逃げた先でも困ると嘘をつく

最近耳にするようになった"カバートアグレッション"

私が過去を回想したとき、カバートアグレッションをしてしまっていたと思い起こしたのは、高校生の時と大学生の時です。

通信手段を駆使して、裏で友達に余計な情報を吹き込み、危機を避けることがありました。

しかし、私の場合、嘘をつくことはなかったように思います。

モラハラは、社会の外にもいつの間にか刃を向けているかもしれない話

私は、他者に対しておせっかいです。さらに、おせっかいも厄介なほど余計に行っていたことがあったと思います。

しかし、自分の中では、"ただの親切心"で行っていたのでした。

 

まずは、「これ以上社会に迷惑をかけない」と誓おうと思った

逃げ道を作ってくれる母に、無関心な父、私は共感というものにほとんど触れていませんでした。

人に興味を持つことができず、共感を示せない。自分が生きやすいように、他者を余計に操作しようとし、迷惑をかけようとしていたと、今考えると、これ以上は絶対にやりたくない。そう思いました。

モラハラは治ると信じたかった

私はモラハラを自覚できました。

後は治すための行動を移すだけです。

しかし、モラハラの勉強のために被害者の方々の知恵袋や対策を読みます。

 

「あいつらは治らないから逃げてください」

「一生孤独で生きてほしい」

 

私はこれらの言葉に絶望しました。

 

モラハラは治らないのか?

加害者は治らないんでしょうか。私は一生人を正しく愛することなく、孤独に死んでいくんでしょうか。かつてのパートナーを傷つけたのは私です。今は新たにパートナーを築く気もありません。

しかし、このままでは孤独死です。自覚した以上、行動する他なくなってしまいました。

人生で味わったことの無い孤独感

私は未婚で、交際関係がありました。まだ若いため、未来が開かれているのは頭ではわかっています。諸先輩方からしてみれば「なんでそんなことで気にするの」と思われるかもしれません。私もそう思います。

しかし、心では理解できません。

まずは仲間を大切にしよう。依存からの脱却

よく考えたら、私を取り巻く環境はパートナーだけではありません。そんなこともわかりませんでした。

仲間と話そう。

そういう思いで、定期的に開催している会に臨みました。

私は、今までの交友関係の在り方を考え直させられることになります。

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友達は、横にいたら話を聞いてくれる存在。友達だし、横に耳があるなら話を聞いてくれて当然。友達なんだから、自分の都合のいいときに横に行けばいい。

 

そう考えていたかどうかは、正直わかりません。そうだったかもしれないし、そうじゃないかもしれません。ただ、確実に言えることは、友達にも優越感を感じるために接している時間があったことです。

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しかし、このときは、自然と、ありがたみを感じながら、仲間と接することができました。彼らは高校からのかかわりで、唯一親友と呼べる存在です。そして彼らからも、この悩みを打ち明けたときに、「いつでも俺らのところに来い」と言ってくれました。

 

私は交友関係は広いことを自負していますが、今考えると、非常に薄い付き合いが多かったように思います。

それは、私の、他者に対する共感の薄さと同じだと悟りました。

もし治らなかったとしても制御できるように

自己愛性パーソナリティ障害は、感情的かつ突発的に他者を攻撃する、他者への共感力が圧倒的に欠如しているといった特徴があります。また、モラハラ的には、パートナーに尊敬を以て接することができません。

 

モラハラの根底、自己愛性パーソナリティ障害が治らなかったとしても、技術で何とかカバーしたい。今、私が取り組んでいるのは以下の3つです。

それぞれ、「お互いを尊敬してコミュニケーションを図る」「突発的に湧き出る怒りを制御して理性的に表現する」「人に興味を持つことで、人の立場を聞き入れる姿勢を持つ」ことを目的にしています。

 

そのうち、トレーニングの成果が得られたら、記事にしたいと思います。

モラハラの原動力ー自己愛性パーソナリティ障害

※この記事は、モラハラを治療、改善したい、させたいと思う人の参考にしてもらうために書いたものです。加害者からの逃げ方は書いてありません。 ※また、私は専門家ではないので、専門知識について誤ったものが含まれている可能性があります。

はじめに

この記事をご覧になった人は、モラハラの被害を受け悩んでいる人、モラハラ加害者を自覚し悩んでいる人が大半だと思います。

モラハラを取り巻くネット環境は、圧倒的に"被害者がとるべき対策"で溢れています。

この記事では、加害者はどうしてモラハラをしてしまうのか、その心理を私なりにまとめます。

モラハラは社会の生んだ魔物

モラハラ加害者は、加害者であり被害者です。 自覚がないというのは巷に溢れていると思います。しかし、さらに言えば、加害者は悪気もありません。

モラハラの言動

モラハラ加害者はよく、「お前のために言っている!」と言います。そして、その根底には、「自分は正しい」「自分はデカい存在だ」といった心が存在します。

それがパートナーに向くと、「自分は正しいから倣え」「自分はデカい存在だから崇めろ」と、相手に無理強い、誹謗中傷を向けることになります。

さらに悪い例だと、自分の正しさが根底にあるまま、「お前は間違っている」「お前はクズだ」と矛先が相手に向きます。

言動の裏にある心理

モラハラ加害者は、自分が強くありたい場合が多いです。そして、相対的に相手を弱いと考えます。

自分は強い、上だ、と完全に思い込んでいる人もいるので、ピンとこない加害者も多いです。(この記事を読んでくださっている加害者の方はそうでないかもしれませんが。)

とにかく見栄っ張りで自己中心です。

被害者を傷つけたのは加害者ですが、加害者はなりたくて加害者になったわけではないケースが多いようです。しかし、なるべくしてなったのだと思います。(被害者ヅラをするなと言われることを承知の上で書いております。私は過去の私を許したくありません。)

敵として社会に作り上げられた、ゲームの中の魔物と同じです。

自己愛性パーソナリティ障害とは

私は専門家ではないので、自己愛性パーソナリティ障害のことは専門書を読んでいただきたいです。

モラハラ加害者は、自己愛性パーソナリティに人格が偏っている可能性があります。(または反社会性パーソナリティ)

自己愛性パーソナリティ障害にとっての自分

自己愛性パーソナリティは、「ありのままの自分」を持つことができず、理想の自分と、理想が叶っていない今の自分が切り離されています。この中間か自分だということを理解できません。私は理解できていません。

"将来はデカい自分、輝いている自分、今はそうではない、しょうもない自分"

私は未婚であり若いです。将来像を輝かせすぎた若者といった感じがします。

見栄を張るのは今の自分を隠して将来の自分を見せたいから

見栄を張るのは、自分が弱いと考えているからです。自覚したばかりの人には納得がいかないと思いますが、人には弱いも強いもありません。

弱いと思っているのは、"あなたが大事にしている価値観が足りないだけ"です。もっと違う部分で、その人には魅力がある。

しかしその他者の魅力を道具として搾取する人もいるようです。私たちは、それが当然だと考えています。私はこんなにも尊大なのだからね。

これは3か月勉強してやっとたどり着いた私の深層心理ですので、自覚したばかりの人はあまりピンと来ないかもしれません。

ある程度勉強を進めたら、再度この言葉を思い出して欲しいと思います。

まとめ―加害者は必ず読んでほしい

モラハラ加害者を自覚すると、こんな人格嫌だ!と感じるかもしれません。

自己愛性パーソナリティ障害の傾向がある人は、今までと同じように、現状の自分に絶望し、モラハラを治した未来の自分を将来像とするかもしれません。

それ自体が自己愛性パーソナリティです。

まずは、行動自体を反省し、自己人格自体は否定しない、ことをお勧めします。そうしないと、周りの自己愛性パーソナリティ傾向の人を下に見て、罪の上塗りをするかもしれませんし、抑うつ症状が出るかもしれません。

私も、どんな人格も等しく愛せるようになりたい。そのために、今の私も愛せるようになりたい。