モラハラ加害自覚者は、今後増えていくんじゃないか、という話
「あなたはモラハラを受けたことはありますか?」
この質問を全国民に聞き、年代別に分けてみたら、どうなるでしょうか。
「あなたはモラハラを受けたことはありますか?」
おそらく、社会・恋愛経験の少ない若者は比較的割合が低いとは思います。
そして年を重ねるにつれ、様々な恋愛経験を踏み、結婚生活へと、人は人生を過ごしていきます。
モラハラというのは"行為"ですが、そのように知覚されていない時代もあったと思います。
今日、私はスーパーで買い物をしながら、高齢の女性が男性に向けて、激しい剣幕で罵倒していたのを目の当たりにしました。
袋に商品を詰めながら、
「あんたはこんなところでも、こんなこともできないの!!」
何食わぬ様子で手を取られる男性。本当に何も食っていないのか、私たちには分からないでしょう。
私もこんなことを言っていたのだろうか…と思いながら、その場を後にしました。
モラハラの存在が知覚されなかった時代がある
多くの人は分かっているかと思いますが、昔はこのようなコミュニケーションスタイルが当たり前のように存在したと聞きます。男女共に一定数いるのは、今も変わりませんが。
今の時代、料理の乗ったリビングテーブルをひっくり返すような人がいたら、一発免停、パパ権剥奪でしょう。これでも家庭によるのかもしれませんが。
ハラスメントは"行為"ですが、受け手によってその行為に該当するかが変わります。
モラハラももちろんその一つでしょう。
さらに、これらは精神医学の発達によって明確化されてきたというものもあるでしょう。
うつ病や人格障害なども、それらが明らかになっていなかった時代では、ただの風邪と変わらなかったのかもしれません。
モラハラ被害者は増え、その分加害自覚者も増えるのではないか
社会はモラルハラスメントへの知見を日々、集結させています。
苦しさから解放されるために、被害者がこれ以上苦しまずに、少しでも減るように、社会全体は総力を挙げて努力しています。私もそうなるべきだと思っています。
しかしそうなればなるほど、今のままの私たちには生きづらい世の中になっていきます。
モラハラ加害者は避けられ、社会的評価も低くなり、家庭は回らなくなります。
幸い、医学はモラハラ加害者への対策だけではなく、モラハラの治し方についても考えてくださっています。
自覚すれば、治せる。そう信じて進む。私は1人でも自覚できた人の参考にしていただきたくて、この記事を書いています。
私たちには生きづらい世の中になった。のではなく
「モラハラに厳しくなった社会。私たちには生きづらくなった」
おそらくそうではないでしょう。
きっと、もっとお互いがハッピーになれる関わり方があるはずです。
「つまり、失恋して悩んでるってこと?」
先日、ある心療内科に行ってきました。
かつての状況をできるだけ整理し、初診に臨みました。
モラハラ加害を自覚してからは、なぜかどういった行動がまずかったか、自分の何が悪かったかが嘘のように思い起こされます。
今更気づいたって遅いのですが。
先生はご高齢の方で、真摯に話を聞いてくださいました。
私はモラハラをしていたと思うんです。
私はそう言い、整理した、今までのエピソードを話しました。
私のやってしまったこと。やってしまった原因。
そこで先生のおっしゃったことが、タイトルになっています。
「つまり、失恋して悩んでるってこと?」
そういわれれば、そうなのかもしれませんが。
そう答えるほかありませんでした。
少しだけ心がホッとしてしまったのを、罪とするべきか、良しとするべきか。
それは誰を大切にするかによると思いました。
「感情に善し悪しなんてない」と友人に言われたことを理解できるのは、まだ時間がかかりそうです。
自分に甘く、他人に厳しいとは私の事
他人に甘く、自分に厳しい。これはその人のことを考えると、自己否定感が少ないのかもしれませんが、社会的には無害です。
自分に甘く、他人に厳しい。これは、社会的に迷惑でしかないよね。という話です。
この記事はモラハラというよりは、自己愛性パーソナリティを自覚した者が過去を回想した話です。
自分への甘さは逃げ癖に繋がる
思えば母は、小学生の私に逃げ道を"作ってくれていた"
小学生、夏休みの宿題を溜めちゃう人はいますよね。私はそうでした。
母は、そういったことに苦しんでいる私に対し、いつも逃げ道を作ってくれました。
例えば、宿題の一つである雑巾づくりを手伝ってくれたり、先生に手紙を書いてくれたり。
母は、共感を示すことなく、困難の解決策を示すコミュニケーションを取ってくれたのです。
また、父は子育てに無関与でした。
逃げたら何とかなった、歪んだ成功体験
こういった経験から、私は「逃げれば誰かが助けてくれる」と考えるようになりました。
逃げるとき、自分が守っていたものは、自分の世間体、自尊心だったと思います。
自分を守るためなら逃げる。逃げた先でも困ると嘘をつく
最近耳にするようになった"カバートアグレッション"
私が過去を回想したとき、カバートアグレッションをしてしまっていたと思い起こしたのは、高校生の時と大学生の時です。
通信手段を駆使して、裏で友達に余計な情報を吹き込み、危機を避けることがありました。
しかし、私の場合、嘘をつくことはなかったように思います。
モラハラは、社会の外にもいつの間にか刃を向けているかもしれない話
私は、他者に対しておせっかいです。さらに、おせっかいも厄介なほど余計に行っていたことがあったと思います。
しかし、自分の中では、"ただの親切心"で行っていたのでした。
まずは、「これ以上社会に迷惑をかけない」と誓おうと思った
逃げ道を作ってくれる母に、無関心な父、私は共感というものにほとんど触れていませんでした。
人に興味を持つことができず、共感を示せない。自分が生きやすいように、他者を余計に操作しようとし、迷惑をかけようとしていたと、今考えると、これ以上は絶対にやりたくない。そう思いました。
モラハラは治ると信じたかった
私はモラハラを自覚できました。
後は治すための行動を移すだけです。
しかし、モラハラの勉強のために被害者の方々の知恵袋や対策を読みます。
「あいつらは治らないから逃げてください」
「一生孤独で生きてほしい」
私はこれらの言葉に絶望しました。
モラハラは治らないのか?
加害者は治らないんでしょうか。私は一生人を正しく愛することなく、孤独に死んでいくんでしょうか。かつてのパートナーを傷つけたのは私です。今は新たにパートナーを築く気もありません。
しかし、このままでは孤独死です。自覚した以上、行動する他なくなってしまいました。
人生で味わったことの無い孤独感
私は未婚で、交際関係がありました。まだ若いため、未来が開かれているのは頭ではわかっています。諸先輩方からしてみれば「なんでそんなことで気にするの」と思われるかもしれません。私もそう思います。
しかし、心では理解できません。
まずは仲間を大切にしよう。依存からの脱却
よく考えたら、私を取り巻く環境はパートナーだけではありません。そんなこともわかりませんでした。
仲間と話そう。
そういう思いで、定期的に開催している会に臨みました。
私は、今までの交友関係の在り方を考え直させられることになります。
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友達は、横にいたら話を聞いてくれる存在。友達だし、横に耳があるなら話を聞いてくれて当然。友達なんだから、自分の都合のいいときに横に行けばいい。
そう考えていたかどうかは、正直わかりません。そうだったかもしれないし、そうじゃないかもしれません。ただ、確実に言えることは、友達にも優越感を感じるために接している時間があったことです。
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しかし、このときは、自然と、ありがたみを感じながら、仲間と接することができました。彼らは高校からのかかわりで、唯一親友と呼べる存在です。そして彼らからも、この悩みを打ち明けたときに、「いつでも俺らのところに来い」と言ってくれました。
私は交友関係は広いことを自負していますが、今考えると、非常に薄い付き合いが多かったように思います。
それは、私の、他者に対する共感の薄さと同じだと悟りました。
もし治らなかったとしても制御できるように
自己愛性パーソナリティ障害は、感情的かつ突発的に他者を攻撃する、他者への共感力が圧倒的に欠如しているといった特徴があります。また、モラハラ的には、パートナーに尊敬を以て接することができません。
モラハラの根底、自己愛性パーソナリティ障害が治らなかったとしても、技術で何とかカバーしたい。今、私が取り組んでいるのは以下の3つです。
それぞれ、「お互いを尊敬してコミュニケーションを図る」「突発的に湧き出る怒りを制御して理性的に表現する」「人に興味を持つことで、人の立場を聞き入れる姿勢を持つ」ことを目的にしています。
そのうち、トレーニングの成果が得られたら、記事にしたいと思います。
人格障害だと言われると、なんだかホッとしてしまう。
被害者ヅラがとっても得意なモラハラ加害者がいます。
私はそうでした。あなたはどうでしたか?
モラハラを自覚した直後、"人格障害"に責任転嫁した
この見出し、理解に苦しむ方がいらっしゃるかもしれません。モラハラ加害自覚者ならば、わかってくれる人がいるかもしれないと思い、書いています。
私は、モラハラを自覚した直後、なんてことをしてしまったんだと、しばらく絶望していました。
心は、自然とダメージの少ない方向へと考えを向けます。被害者に一切の罪はありませんし、私も罪を負いたくありません。
ここから、モラハラ、もとい自己愛性パーソナリティ障害の存在を知ります。この障害が絶対悪に見えます。
私のせいじゃない。この人格のせいなんだ。
冷静になってから
冷静に考えると全くそうではありませんでした。私自身のこの人格がこれらの行動を起こしています。解離していない限り、行動の原動力である人格は私のモノです。
私は何か怖くなって、これらを考えることをやめました。
私である自己愛性人格も愛そうと目指せるようになったのは、その2ヶ月ほど後でした。
モラハラの原動力ー自己愛性パーソナリティ障害
※この記事は、モラハラを治療、改善したい、させたいと思う人の参考にしてもらうために書いたものです。加害者からの逃げ方は書いてありません。 ※また、私は専門家ではないので、専門知識について誤ったものが含まれている可能性があります。
はじめに
この記事をご覧になった人は、モラハラの被害を受け悩んでいる人、モラハラ加害者を自覚し悩んでいる人が大半だと思います。
モラハラを取り巻くネット環境は、圧倒的に"被害者がとるべき対策"で溢れています。
この記事では、加害者はどうしてモラハラをしてしまうのか、その心理を私なりにまとめます。
モラハラは社会の生んだ魔物
モラハラ加害者は、加害者であり被害者です。 自覚がないというのは巷に溢れていると思います。しかし、さらに言えば、加害者は悪気もありません。
モラハラの言動
モラハラ加害者はよく、「お前のために言っている!」と言います。そして、その根底には、「自分は正しい」「自分はデカい存在だ」といった心が存在します。
それがパートナーに向くと、「自分は正しいから倣え」「自分はデカい存在だから崇めろ」と、相手に無理強い、誹謗中傷を向けることになります。
さらに悪い例だと、自分の正しさが根底にあるまま、「お前は間違っている」「お前はクズだ」と矛先が相手に向きます。
言動の裏にある心理
モラハラ加害者は、自分が強くありたい場合が多いです。そして、相対的に相手を弱いと考えます。
自分は強い、上だ、と完全に思い込んでいる人もいるので、ピンとこない加害者も多いです。(この記事を読んでくださっている加害者の方はそうでないかもしれませんが。)
とにかく見栄っ張りで自己中心です。
被害者を傷つけたのは加害者ですが、加害者はなりたくて加害者になったわけではないケースが多いようです。しかし、なるべくしてなったのだと思います。(被害者ヅラをするなと言われることを承知の上で書いております。私は過去の私を許したくありません。)
敵として社会に作り上げられた、ゲームの中の魔物と同じです。
自己愛性パーソナリティ障害とは
私は専門家ではないので、自己愛性パーソナリティ障害のことは専門書を読んでいただきたいです。
モラハラ加害者は、自己愛性パーソナリティに人格が偏っている可能性があります。(または反社会性パーソナリティ)
自己愛性パーソナリティ障害にとっての自分
自己愛性パーソナリティは、「ありのままの自分」を持つことができず、理想の自分と、理想が叶っていない今の自分が切り離されています。この中間か自分だということを理解できません。私は理解できていません。
"将来はデカい自分、輝いている自分、今はそうではない、しょうもない自分"
私は未婚であり若いです。将来像を輝かせすぎた若者といった感じがします。
見栄を張るのは今の自分を隠して将来の自分を見せたいから
見栄を張るのは、自分が弱いと考えているからです。自覚したばかりの人には納得がいかないと思いますが、人には弱いも強いもありません。
弱いと思っているのは、"あなたが大事にしている価値観が足りないだけ"です。もっと違う部分で、その人には魅力がある。
しかしその他者の魅力を道具として搾取する人もいるようです。私たちは、それが当然だと考えています。私はこんなにも尊大なのだからね。
これは3か月勉強してやっとたどり着いた私の深層心理ですので、自覚したばかりの人はあまりピンと来ないかもしれません。
ある程度勉強を進めたら、再度この言葉を思い出して欲しいと思います。
まとめ―加害者は必ず読んでほしい
モラハラ加害者を自覚すると、こんな人格嫌だ!と感じるかもしれません。
自己愛性パーソナリティ障害の傾向がある人は、今までと同じように、現状の自分に絶望し、モラハラを治した未来の自分を将来像とするかもしれません。
それ自体が自己愛性パーソナリティです。
まずは、行動自体を反省し、自己人格自体は否定しない、ことをお勧めします。そうしないと、周りの自己愛性パーソナリティ傾向の人を下に見て、罪の上塗りをするかもしれませんし、抑うつ症状が出るかもしれません。
私も、どんな人格も等しく愛せるようになりたい。そのために、今の私も愛せるようになりたい。
開設の目的
このブログは、モラハラ加害者を許すモノでも、モラハラを正当化するモノでも決してありません。
もちろん、モラハラ被害者の方に「あなたが悪い!」と言うものでもありませんし、そういった思いは一切ありません。
このブログは、モラハラを自覚した私が、モラハラを治し、正しく人を愛せるようになりたいと誓い、これに向き合う備忘録です。
しかしながら、モラハラに関する記事の多くは、モラハラ被害者による相談とその対処法が多く、「モラハラを自覚し、治したいと思った方がどうしたらよいか」といった記事は圧倒的に少ないです。
なぜなら、モラハラに関わる自己愛性パーソナリティ障害を本人が自覚する確率は約1%といわれているためです。
私は、真心で人を愛せるようになりたいという、生涯をかけた自分との闘いを、ここに書き残します。
そして、少しでも、モラハラ相手から脱したい人(被害者)、モラハラを自覚し治したい人(加害者)の参考になりたいと思い、ここに書き残します。
また、上記が目的であるため、個人が特定されうる粒度の体験談は記載しませんが、極力経験を詳細に書き残します。
また、本記事に関して、モラハラ加害者、被害者の方にとってふさわしくない表現であると指摘され、私も納得した場合、即座に修正し対応を行いますので、コメントしていただけますと幸いです。ただし、私に対する誹謗中傷に関しては控えていただくようお願い申し上げます。